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チベット難民〜世代を超えた闘い > 概要

”遥かなるチベットへの思い−    
   それが、チベット難民の言動の原点だ”

ノーベル平和賞受賞者ダライ・ラマ14世が祖国チベットを離れて40年以上。

しかし、チベット難民の祖国解放の闘いは次世代に受け継がれ、いつまでも衰える

ことは無い。

 1950年、突然の中国軍の侵入により主権を奪われた
チベット。その9年後、チベット民衆の抵抗運動は中国軍に武力弾圧され、 ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされた。その時、約10万ものチベット人たちも彼の後を追い、過酷なヒマラヤ越えを決行し難民となっていった。中国共産党政府によって統治されたチベットでは、様々な形による「圧政」が続いている−宗教弾圧・環境破壊そして人権侵害 。圧政を嫌いヒマラヤを越えるチベット人は跡を絶たない。 一方、チベット亡命政府のあるインドのダラムサ-ラに暮らす難民もすでに3世代目である。しかし、「第3世代」のいまだ見ぬ真の故郷チベットへの思いは衰えを知らない。そして「民族蜂起」から40年目を迎える今、若い世代を中心に、チベット解放への切なる願いを込めた『平和行進』が始まろうとしている。
 このドキュメンタリーは、マスメディアでは殆ど報道さることのないチベット難民の現状や様々な「思い」を描き出す。 

【ダライ・ラマ14世】
チベット仏教最高指導者。1935年、東北
チベットのアムド州で生まれる。1939年、
ダライ・ラマ13世の転生として認定される。1940年、ダライ・ラマ14世として即位。
1959年、インドへと亡命する。以後、
チベット人のリーダーとして、一貫して
非暴力 による「チベ ット問題」の解決を
目指している。その 一方で、世界各国で
仏陀の教えを説く。1989年、ノーベル平和賞
受賞。

【カルサン・ドルジェ】
チベット社会福祉事務所(ダラムサーラ)勤務。
1970年、ブータンで生まれる。 チベット青年会議
(TYC)に所属し、未だ見ぬ祖国(チベット)の解放の
ために 精力的に活動している。「チベット民族蜂起」
40周年に『平和行進』を組織する。

【テンジン・ルントク】
チベット仏教ゲルク派の僧侶。 1975年、インドのマナリで生まれる。11歳のとき、 ダライ・ラマの直轄僧院・ナムギャル僧院(ダラムサーラ) に入り僧侶となる。現在、 若手の中心としてチベット仏教の伝統を受け継いでいる。

■ 製作: 10System ■ 製作総指揮: 田中 邦彦 ■ 撮影・構成・編集: 田中 邦彦
【2002年製作/カラー/108分(4部構成)】
*【『英語語』版:2002年制作/カラー/120分】

このドキュメンタリープロジェクトの発端は、アメリカの
大学院に留学していた際にネイティブアメリカンの"generation
gap"(世代間の断絶)を目の当たりにしたことです。「チベット
問題」が40年近く経過した今日、チベット難民の世代間の繋がり
はどうなっているのかを確かめたくなったのです。

アメリカで企画書を仕上げ、帰国後(1998年)、いくつかの
日本の製作会社(TV プロダクション)に企画を持ち込みまし
たが、「チベット問題」を扱っているため、にべもなく断られ
ました(日本のマスコミ(特にTV〉では、「チベット問題」は
タブーとされている)。

しかしながら、諦める気は全くありませんでした。なぜなら、
1999年が「チベット問題」にとって節目の年(重要年)だった
からです(『チベット民族蜂起40周年』; 『ダライ・ラマ亡命
40周年』;『中華人民共和国建国50周年』;『ダライ・ラマ14世ノーベル平和賞受賞10周年』;『天安門事件10周年』)。

「誰かがこの年のチベット難民たちの言動を記録しなければならない」というある種の"脅迫観念"にかられていました。

又、欧米メディアなどの「チベット問題」の描き方とは異なる
新たな視点(即ち、"世代")により、その問題を考えてみた
いとの思いもあったのです。

様々な問題の克服の末、非常な低予算(通常のTVドキュメンタリー予算の10分の1以下)の下、プロジェクトを単独スタートさせました。チベット難民の初取材は、1999年の2月から5月にかけてダラムサーラやカトマンズなど、インド・ネパール各所で行いました。

今回の取材のメインとなったピースマーチ(平和行進)は忘れら
れない思い出となりまし た。その中でも、特に印象に残っている
のが若者たちとの対話です。 ピースマーチ の半ば、 彼らから
言われました。 「俺たちは、お前も他の多くのジャーナリスト
と同様、実際はダライ・ラマにしか関心が無く、自分のビジネス
のことしか頭にない連中の一人だと思っていた。 しかし、お前は違った。俺たちと共に歩き、本当に難民のことを考えている」
この言葉を聞いて初めて、難民たちと本当の心の繋がりができた
と感じました。

幸運にも、ダラムサーラを去る当日の朝にダライ・ラマ14世

との単独インタビューが実現。 1時間以上に渡り非常に中身の濃い話し合いが持てました。チベット・「チベット問題」・チベット人社会・仏教に対するダライ・ラマの真の政策・哲学・ 夢をジャーナリストとしてきちんと伝えていかねばならないと感じたことは言うまでもありません。

インタビューの後、友人である豪快なチベット人僧侶が私の顔
をしげしげと見つめて「おまえは本当に運が良い奴だ!」と繰り
返し言うのです。「何故だ?」と聞くと、「知らないのか!?」
「今日は、ブッダ・ジャヤンティだ!」

なんと、その日は「仏陀の誕生日」で、私はそんな"大変"な日に ”Living Buddha”にインタビューをしていたのです。

これを、「カルマ」と呼ぶのかもしれません。

(December 2000)


P.S.その後の厖大な「編集作業」も単独で凌ぎました。人間、
本当に決心すれば出来るのです。「英語版」も完成。国際映画祭にも招待されました。「一人では無理」と言って頂いたマスコミ先輩諸氏、あなた方はやはり間違っていた。

「意志あるところに道は開ける」−300キロ以上のピースマーチを共に歩き通した汗と誇りにまみれたチベット難民たちの「顔」が今も脳裏に浮かぶ。

(December 2002)